【第1回】1905年1月 博多駅にて

【第1回】1905年1月 博多駅にて
第1回の今日は、まず時を遡りましょう。
時は日露戦争で旅順が陥落した直後の明治38年1月末、場所は福岡の博多駅付近。
そして、その“奇妙な光景”を目撃したのは、後に東郷平八郎に関する著書「東郷の国」を記すことになるアメリカ人、ヘンリー・B・シュワルツです。

『駅の広場は黒山のごとき人垣で埋まり、警官が多数出動して、群衆に向かって厳重注意を呼びかけていた。
「決して指したり、笑ってはいけない」
やがて列車が着き、人の行列が市中を更新し始めた。行列はロシア人の捕虜の一団であった。“薄汚れてアホ面をしたロシア兵ども”を迎えるには場違いな厳粛さに感動した。
生涯忘れられないシーンであった。同じ状況下におかれた場合、これほどの“礼節”と“自制心”を発揮できる国が、他に一つとあるだろうか?』
また同じ筆者は、同書において次のようにも書いています。
『明治の日本は、人為的に急ごしらえで作られた国ではない。そけは砂上の楼閣でも、決してない。過去の古い歴史に根ざした、枝振りの見事な、いわば杉の大木である。
現代の日本人を理解するためには、なにはともあれ、まずこのことを理解する必要があろう』

この博多駅で目撃した日本人の“礼節”と“自制心”に魅せられたシュワルツは、その後、欧米で吹き荒れる“黄禍論”の中、日本人を弁護してくれています(その代わりに同筆者はロシア人差別主義者だったようなので手放しで彼を褒められませんが(汗)。
しかし。
博多駅で示された日本人の美しき“礼節”と“自制心”は、この僅か八ヶ月後。
跡形もないほど消し飛び、醜態を晒すことになるのです。
悪質な煽動者に煽られた群衆によって。
日比谷焼打事件です。
(続く)