2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

【第16回】温暖化ガス25%削減

【第16回】温暖化ガス25%削減 民主党マニュフェストより 【五つの約束】 〈5〉雇用・経済 『2020年までに温暖化ガスを25%削減(1990年比)するため、排出量取引市場を創設し、地球温暖化対策税を導入する』 ここまで明確に恐ろしい金額の増税が謳っ…

【第15回】独立行政法人

【第15回】独立行政法人 民主党マニュフェスト要旨より 【政策各論】 〈1〉無駄遣い ▽独立行政法人は全廃も含めて抜本的見直し さて、突然ですが問題です。以下の5つの組織のうち、独立行政法人は一体何処でしょう? 1.造幣局 2.国立病院機構 3.国…

【第14回】公共事業

【第14回】公共事業 民主党のマニュフェスト「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」全文読みました。 で、早速本題に……と思ったのですが「何か」かが足りない気がしたので、もう一度読み直してみると……うん、やっぱりない。 さて、何が書かれていなかったかと…

【第13回】民主党マニュフェスト

【第13回】民主党マニュフェスト 民主党のマニュフェストが発表されました。 大方の予想は出ていましたので、本日はこれについての疑義を上げる予定だったのですが、改めて読み直し、疑義以前に、身体の芯から滲み出るような恐怖心が沸いて参りましたので…

【第12回】報道しない自由−事務所費問題 小沢一郎氏の場合

【第12回】報道しない自由−事務所費問題 小沢一郎氏の場合 さて、前回事務所費問題を取り上げましたが、当時与野党問わず「ある意味で単純な」架空経費が問題となっている最中、ただ一人だけ全く異質の方向で事務所費問題が取り上げられたのが、前民主党代…

【第11回】報道しない自由−事務所費問題

【第11回】報道しない自由−事務所費問題 今回より、前回の衆議院議員選挙以降、いえ更に正確に云うと、小泉純一郎首相退任以降の政治問題とマスコミの報道の仕方について、具体例をあげてみていきましょう。 安倍晋三内閣成立以降、まず槍玉に挙がった問題…

【第10回】所謂“たらいまわし”と加古川市民病院心筋梗塞裁判

【第10回】所謂“たらいまわし”と加古川市民病院心筋梗塞裁判 まず最初に、救急医療について世間一般の方が完全に誤解していることを例示します。 多分驚かれることになると思いますが“医療事故”にしか興味のないマスコミは一切広報しませんので、一般の方…

【第9回】奈良大淀病院事件

【第9回】奈良大淀病院事件 この“事件”は病院関係者界隈では知らない人間のいない、日本の産科を壊滅に追い込んだ事件の一つです(もう一つは福島大野病院事件)。 双方とも如何にこの国のマスコミが腐りきっているかの好例ですが、まずは大淀病院事件につ…

【第8回】臓器移植に際しての体験談 毎日新聞記者の資質

【第8回】臓器移植に際しての体験談 毎日新聞記者の資質 今回は極めて個人的な体験談からのご紹介。 先日臓器移植法案が改正され、脳死となった15歳以下の子供からの臓器提供が可能となりました。 同時に「臓器提供を事前に本人が意志表示していた場合に…

【第7回】本朝新聞事始め(参)

【第7回】本朝新聞事始め(参) この本朝新聞事始めシリーズの過去二回は、明治初期の新聞の比較的「正」の側面を取り上げてきましたが、無論同時に「負」の側面も抱えていたわけで、今回はそれを取り上げましょう。 明治初期の代表的大衆新聞である報知新…

【第6回】本朝新聞事始め(弐)

【第6回】本朝新聞事始め(弐) 世間一般の方は、新聞紙面に掲載された記事が事実であることを疑いません。 これは我々が“新聞は客観報道を旨とするメディアである”と教えられてきたからです。 それでは、まだ新聞が誕生した当時、虚実ない交ぜだった江戸期…

【第5回】本朝新聞事始め(壱)

【第5回】本朝新聞事始め(壱) 日本における「新聞」の始まりは幕末に遡りますが、当初の読者層は極めて限定的でした。 新聞報道が一定の政治的影響力を持つに至ったのは、1874年、征韓論に破れた板垣退助らが提出した「民選議員設立建白書」が、発表の翌…

【第4回】1993年9月21日 椿事件

【第4回】1993年9月21日 椿事件 民間放送連盟の放送番組調査会におけるテレビ朝日取締役報道局長の発言。 「小沢一郎氏のけじめをことさらに追及する必要はない。 今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立さ…

【第3回】1945年8月 ハルピンにて

【第3回】1945年8月 ハルピンにて 本ブログであるFate雑記にも関係深い人物に、山崎倫子という方がみえます。 医師であった彼女は1945年8月9日のソ連軍の侵攻を、勤めていたハルピン医大付属市立病院で迎えます。 日ソ中立条約が結ばれていた為、ま…

【第2回】1905年9月5日 日比谷焼打事件

【第2回】1905年9月5日 日比谷焼打事件 1905年8月29日。 激烈を極めた日露戦争は、ポーツマスで締結された講和条約をもって終結します。 この条約で日本側が得たのは、樺太の南半分(実はこの時点で樺太全土を占拠していたので事実上の撤退)…

【第1回】1905年1月 博多駅にて

【第1回】1905年1月 博多駅にて 第1回の今日は、まず時を遡りましょう。 時は日露戦争で旅順が陥落した直後の明治38年1月末、場所は福岡の博多駅付近。 そして、その“奇妙な光景”を目撃したのは、後に東郷平八郎に関する著書「東郷の国」を記すこと…