【第10回】所謂“たらいまわし”と加古川市民病院心筋梗塞裁判

【第10回】所謂“たらいまわし”と加古川市民病院心筋梗塞裁判
まず最初に、救急医療について世間一般の方が完全に誤解していることを例示します。
多分驚かれることになると思いますが“医療事故”にしか興味のないマスコミは一切広報しませんので、一般の方は知る術はないわけですけれど。


厚生労働省は2002年「医療機関における休日および夜間勤務の適正化について」という通達をだしました。
それによると、医師の勤務条件とは以下の通りのものとなります。
?労働基準法における医師の宿日直勤務とは、夜間休日の電話対応、火災予防などのための巡視、非常時の連絡などにあたることを指す。
?業務は殆ど労働する必要がない業務のみであり、病室の定時巡回などの軽度または短時間の業務に限る。
?夜間に十分な睡眠が確保されなければならない。
?宿直勤務は週1回、日直勤務は月1回が限度。
?宿直勤務中に通常の労働が頻繁に行われる場合は、宿日直勤務で対応することはできず、交代制を導入するなど態勢を見直す必要がある。


この厚労省の通達に従う限り――従わなければ労働基準法違反確定なのですが――日本の救急医療の殆どが消滅します(つまり日本中の殆どの病院は労働基準法違反を継続中)。
残るのは救急専門の医師がいる少数派の病院のみです。
ついでに云うと、本来なら「軽度で短時間の業務」しか出来ないのだから、殆どの病院は宿直の医師に「軽度で短時間な労働に見合うわずかな報酬」しか払っていません(満額払ったら、今度は病院の方が潰れます)。
つまり。
この通達に従えば、少なくとも病院側は救急専門医に対して以外、たとえ患者が夜間に来ようが医師に患者を診させることはできないのです。
もう一つ、この厚労省の通達から分かることは、本来「業務時間外の夜間に患者を診察することは例外である」ということです、この通達は何十年も前に出されたものではありません、たった7年前のものです。
それでも厚労省はこう指摘している。
これを「国の現状認識不足」と捉えるのか「夜間救急は本当に緊急性のある場合にしか使うべきものではない」と捉えるのか。
“患者様の権利”を擁護するマスコミは少なくとも後者は主張しないでしょう。


昨今、医療問題を取り上げる時にマスコミが嬉々として使う言葉に“たらしまわし”があります。“受け入れ不能事例”と表現を変えろ、という医療側からの抗議がなされていますが、一向に改められる気配はありません。
ひとたび“たらしまわし”をマスコミが報道すれば、ネットでは病院や医師を罵倒する言葉で溢れます。
「昔はこんなことはなかった」
「医師は金儲けしか考えてない」
「ベットが足りない? ベットなんて廊下でもいいだろう。ただの言い訳だ」と。
上記の批判に唯一正しいところがあるとすれば「昔は〜」という部分のみです。


では、この原因は何なのでしょう? これにはある判決が絡んでいるのです。
奈良大淀病院事件、福島大野病院事件ほどには世間に知られていませんが、日本の救急体勢を根本から叩き壊した判決が。
それが“加古川市民病院心筋梗塞裁判”です。
この事件は2003年に発生しました。
簡単に経過を纏めると、とある休日。
患者が息苦しさを訴え、加古川市民病院を受診。対応した医師は心筋梗塞を強く疑い、血管を拡張するための点滴をしたが回復せず、来院の約一時間半後に他病院へ転送依頼。しかし、その後容体が悪化、死亡した、というものです。
経緯だけみると「何故これで裁判になるんだ?」と疑問に思われるでしょう。
患者の遺族は「重症の心筋梗塞にはカテーテル療法が必要なのに、この病院は対応できなかった。であれば、速やかに他の医療機関へ男性を速やかに転送すべきだったのに、その義務を怠った」と主張したのです。
そう、この日の休日当直は内科は内科でも消化器内科の医師であり、カテーテル術を行える循環器科の医師はいなかったのです。
ですが、転院先が決まるまでのこの消化器内科の医師の処置は、複数の関係者のブログを読んでも医学上全く問題のないものだったようです。
問題は転送先を決めるのに一時間かかったということだけ。
これも休日と云うことを考えれば、それほど長い時間というわけでもありません。
ですが、判決は患者の遺族側の訴えを全面的に認め、病院側にほぼ全額の約4千万円の損害賠償の支払いを命じたのです。


日本中の病院は判決に愕然としました。
良かれと思って受け入れた患者が、結果的に亡くなったことの責任を受け入れた側の病院に負わされる判決内容に。
これ以降、病院は“自衛”を始めることになりました。
「専門医が当直でない場合は、その患者を受け入れない」と(ちなみに、うちを含む多くの病院は「専門医ではありませんが、宜しいですか?」と事前に確認を取ってから受けいれてます)。
これが現在の所謂“たらいまわし”の元凶です。


では、こんな現場をみない判決を出した司法だけが問題かと云えば、そうではありません。
未だに“たらいまわしたらいまわし”を連呼するだけで「診療拒否」の原因が、病院側の問題ではなく、法律制度に問題がある点をマスコミが一切報道しないことも問題なのです。
上記のような事例の場合、病院側が自衛する手段は、現在の所、患者の受け入れ拒否しかありません。
その現状がおかしいと思うのなら、キャンペーンでも張って「医療事故補償制度」でもなんでも提案すればいい。
しかし、それをしないで、ただ“たらしまわし”を連呼することで、一般市民の憎悪の対象を、医師と病院に向けさせている。
で、元から病院や医師に不信感を持って患者が病院を訪れトラブルを起こし、所謂“モンスターペイシェント”化する、というまさに悪循環。
昨日の奈良大淀病院事件もそうですが、彼らマスコミは日本の医療制度を破壊することに生き甲斐を感じているのではないか?
そう疑いたくなるほど“プラス面のまったくない”のがマスコミの“たらいまわし”報道です。
(続く)